2005年3月12日

東京の家に2匹の猫を飼っている.いずれもわけあり猫で,おとといその一匹が死んだ.その猫は,今から18年前,一番下の娘が小学校5年のとき,道端の溝に捨てられていたかあるいは野良猫が産み落とした子猫を拾ってきたのだ.当時,マンション住まいなので,初めは飼うことに躊躇した.しかし,娘の懇願と,[命を粗末にするな]という教育上の観点から内緒で飼うことにした.五月に家に来たので,メイという名前をつけた.

猫はかって気ままで,不愛想で言うことも聞かないとう偏見があって,私はもともと猫は好きな方では無かったが,この子が来てから見方がチョット変わった.

猫らしくない猫に育った.トイレはひと様と同じ水洗トイレを使う.これはメイが4才のとき,本をみて訓練してみたら,たやすく覚えた.名前で’メイ’と呼ぶと返事し,機嫌がよければ,すり寄って来た.家人が出かけるときと帰るときは, 「三つ指」ついて送り迎えしてくれた.

捨てられたとき怪我したのだと思うが,しっぽの先が鈎状に曲がっている三毛猫で,体重は3.5キロしかなかった.キャットフードしかあげてないのでそれ以外は餌だと思っていないようだった.テーブルの上にのっても人の食べるモノには手をつけない.ただ,カツオ節は大好きだった.それはトイレの訓練のとき,水洗トイレにウンチが出来たときのご褒美としてカツオ節をひとつまみあげていたからだ.夫婦間でも娘との日常会話でもメイの話題が結構多くなった.メイのトンマな行動の話が多くなり,笑いと和やかさを醸し出してくれた.家族の重要な一員だったが,天袋へ上るため,障子と襖はめちゃめちゃになっていた.
 結構遊び心があり,かくれんぼが好きだった.たとえば,はじめに私がメイを追いかける.メイは逃げるが,次に私が追われるような格好して,逃げてモノかげに隠れると追いかけて探がす.見つけると[見つけた]という表情を表す.少し,ニヤッとしたかに見える.これを繰り返し,家中を駆け回る遊びをよくした.私がトイレに入るとドアの下の隙間から手を入れてくる.トイレットペーパーを丸めてつかませてやるとそれをいったん持って行き,今度は投げ返す.隙間を通してのキャッチボールの遊びだ.

寝るときは,女房との間に川の字となって寝た.おかげさまであっちは遠のいた.一日の時間経過がわかっている様子で,朝5時に起こしにくる.いつもは自分の住処であるベッドの下,天袋2カ所のどこかにいた.洗濯する時間,出かける時間等は覚えていて,その時間にその様子がないとでてきて催促した.

猫にしては感情表現が素直で,うれしいときは体をすり寄せゴロゴロという音を立てながら知らせる.8才になってもずうずうしさが無く,家人以外の人が居るときはほとんどでてこなかった.外の世界におおいなる好奇心を持つが同時に怖さを感じていて,ベランダに腰を低くしながらそっとでてくる.人を見つけると急いで逃げ帰る.一番下の娘が,高校生活にトラブッってふさいでいたときは,よく娘のそばにいた.たぶん,気配を感じて慰めていたのだろう.このようなメイの行動をみてると私も慰めになった.

メイは自分の地位を下から2番目においている様子だ.従って,一番下の娘は自分より目下と思っており,その娘の行動を監視していて,世話する態度を表す.このような感情がどうしてでてくるか考えると結構楽しい.このような平穏な日々が10年以上も続いた.

変調を見たのが6年前の夏,急に食欲がなくなり痩せはじめた.北大の獣医学区部の学生だった2番目の娘が夏休みで帰ってきた.メイを見るなり「もしかして,糖尿病かもしれない」といった.血液を採取して調べた結果,案の定の結果だった.
それからは,朝夕に餌を与えた後はインシュリンの注射を打つことになった.この2,3年は大腸の運動が無くなったらしく,ひどい便秘となった.2,3日おきに大がかりな浣腸を施さなければならなかった.肛門から細いビニールの管を深く差し込み,浣腸液を太い注射器で入れる.量は180ccも入れるのだ.4kg足らずの猫なので,人間に換算すると2リットル以上も入れることになる.
 
今年になってからだんだん痩せてきた.この一週間は食事もとれず,点滴のみだった.そうしておとおとい眠るように逝った.17才と9ヶ月.人間に換算すると91才だそうだ.6年も糖尿病を患ってたことを考えると長生きしたと思う.かわいい猫だったが世話もたいへんだった.
昨日,火葬に出し小さな骨壺に遺灰が帰ってきた.いま,家に小さな祭壇を設けて花と線香を手向けた.雪が解けたら,山荘の敷地の一角に埋葬し,そこに何か目印となる木を植えようと思っている.[0545]